起床後、宿で朝食。先ずピカソ美術館へ。宿からは10分もかからない程近い。

1980-08-23 Barcelona ピカソ美術館付近の路地美術館と言ってもごく普通の小路にあるごく普通の建物。

1980-08-23 Barcelona ピカソ美術館中庭しかし中は新しく、空調も効き、中庭もあり、雰囲気も大変良い。一階からずっと年代を追って展示されており、最初は少年時代のイタズラ書きの類。教科書の空白に書いたものなどもある。いわゆるピカソの代表作と言われるような作品は少なく、デッサン類が多い。又、ベラスケスのパロディが展示されているが、ピカソのキュービズムがこれで良く分かる。一つの主題や構図で何枚もの作品が描かれており、彼が一発勝負で描き上げてしまったり、あるいは上に塗り重ねて修正していったりしないで、一枚を完成させた上で、更に書き直して別の一枚を完成するといった手順を踏んでいるのが良く分かる。彼の最晩年のデッサンも多数あるが、これは殆ど全てが女性の生殖器を描いたもので、90才位だったはずのピカソのある意味での人間的な、又ある意味での異様な存在を感じさせる。一階の売店で絵葉書、本を買う。美術館へ行く途中の本屋でもピカソの絵葉書は売っていたのだが。

ピカソ美術館からどうせ通り道なので一度宿に戻り、買い込んだ本等を置いて再び外出。

1980-08-23 Barcelona コロンブス記念柱ロータリーランブラスを通ってコロンブス記念柱とサンタ・マリア号へ。柱の上でコロンブスは海の方を指差しているのだが、どうもこれは東の方向の様な気がする。場所の関係で西(街の中心)を指差すわけにも行かないのだろうが。この柱の下でドゥルティの追悼演説が行なわれたはずなのだが。

1980-08-23 Barcelona サンタ・マリア号船内柱のすぐ近くの岸壁にサンタ・マリア号の実物大模型が係留してある。実に小さな船である。勿論今は一人乗りのヨットで大西洋の横断も出来る時代だが、当時のあの決死の大航海に出た船としては想像をはるかに越えて小さい。

1980-08-23 Barcelona サンタ・マリア号船長室内部にはいくらかの道具類も展示されているが、船長室と船倉、そして甲板と帆。それだけしかないのだ。乗組員はあの暗い船倉で不安な夜々を過ごし、あるいは反乱の話し合いをしたのかも知れない。

1980-08-23 Barcelona Hostal Continental外観ランブラスを逆に歩いて行く。ここはあの五月事件の折、銃撃戦があった所だが、様々な本に出てくる建物を探しながら歩く。しかし見付かったのはホテル・コンチネンタル(カタロニア讃歌に出てくる)だけ。写真に撮ってゆく。

1980-08-23 Barcelona 花火の輝くアイスクリームカタルーニャ広場への出口の角にあるカフェに入る。他の客が注文したエラード(アイスクリーム)が面白いので、それを注文する。これは大きなアイスクリームに線香花火を突き立てて持ってくるのだ。店内がもっと暗くしてあればよりきれいだろうが、とにかく面白いアイデア。アイスクリームの方も下に果物(缶詰)の細切れが沢山入り、上に生クリームがのせてあって、量も多い。

デパートに行って前日見て便利そうだと思った黒いバッグを買う。よく見るとホンコン製だが、土産物を持って行くのにもバッグが必要なので、買う。

時間がないので、急いでカテドラル広場へ行く。ブルーガイドによると、土曜日の19時からここでカタルーニャの民族舞踊サルダーナが踊られるというのだ。しかし一向に始まる気配もないので、カテドラルの中を見学。ちょうどミサの最中。

カテドラルから出てきてもまだ何の気配もないので、近くのバルセローナ市歴史博物館へ行ってみる。しかし閉館間際で入れず、係員は「明日、日曜は無料だから明日来い」と言ってくれるので、翌日行くことにして再びカテドラル広場へ行き、石の縁石に座ってサルダーナの始まるのを待つ。

1980-08-24 Barcelona カテドラル前広場で遊ぶ子供たち前日と同じ様に広場で遊ぶ子供達をながめ(同じメンバーがやって来て遊んでいる)、日記を書く。しかしついにサルダーナはなかった。

近くのバルに行ってビールを飲みながら軽くつまんで夕食代り。こういうやり方で食事をすると安上がり。

Andrésスペイン旅行起床後、宿で朝食。先ずピカソ美術館へ。宿からは10分もかからない程近い。美術館と言ってもごく普通の小路にあるごく普通の建物。しかし中は新しく、空調も効き、中庭もあり、雰囲気も大変良い。一階からずっと年代を追って展示されており、最初は少年時代のイタズラ書きの類。教科書の空白に書いたものなどもある。いわゆるピカソの代表作と言われるような作品は少なく、デッサン類が多い。又、ベラスケスのパロディが展示されているが、ピカソのキュービズムがこれで良く分かる。一つの主題や構図で何枚もの作品が描かれており、彼が一発勝負で描き上げてしまったり、あるいは上に塗り重ねて修正していったりしないで、一枚を完成させた上で、更に書き直して別の一枚を完成するといった手順を踏んでいるのが良く分かる。彼の最晩年のデッサンも多数あるが、これは殆ど全てが女性の生殖器を描いたもので、90才位だったはずのピカソのある意味での人間的な、又ある意味での異様な存在を感じさせる。一階の売店で絵葉書、本を買う。美術館へ行く途中の本屋でもピカソの絵葉書は売っていたのだが。ピカソ美術館からどうせ通り道なので一度宿に戻り、買い込んだ本等を置いて再び外出。ランブラスを通ってコロンブス記念柱とサンタ・マリア号へ。柱の上でコロンブスは海の方を指差しているのだが、どうもこれは東の方向の様な気がする。場所の関係で西(街の中心)を指差すわけにも行かないのだろうが。この柱の下でドゥルティの追悼演説が行なわれたはずなのだが。柱のすぐ近くの岸壁にサンタ・マリア号の実物大模型が係留してある。実に小さな船である。勿論今は一人乗りのヨットで大西洋の横断も出来る時代だが、当時のあの決死の大航海に出た船としては想像をはるかに越えて小さい。内部にはいくらかの道具類も展示されているが、船長室と船倉、そして甲板と帆。それだけしかないのだ。乗組員はあの暗い船倉で不安な夜々を過ごし、あるいは反乱の話し合いをしたのかも知れない。ランブラスを逆に歩いて行く。ここはあの五月事件の折、銃撃戦があった所だが、様々な本に出てくる建物を探しながら歩く。しかし見付かったのはホテル・コンチネンタル(カタロニア讃歌に出てくる)だけ。写真に撮ってゆく。カタルーニャ広場への出口の角にあるカフェに入る。他の客が注文したエラード(アイスクリーム)が面白いので、それを注文する。これは大きなアイスクリームに線香花火を突き立てて持ってくるのだ。店内がもっと暗くしてあればよりきれいだろうが、とにかく面白いアイデア。アイスクリームの方も下に果物(缶詰)の細切れが沢山入り、上に生クリームがのせてあって、量も多い。デパートに行って前日見て便利そうだと思った黒いバッグを買う。よく見るとホンコン製だが、土産物を持って行くのにもバッグが必要なので、買う。時間がないので、急いでカテドラル広場へ行く。ブルーガイドによると、土曜日の19時からここでカタルーニャの民族舞踊サルダーナが踊られるというのだ。しかし一向に始まる気配もないので、カテドラルの中を見学。ちょうどミサの最中。カテドラルから出てきてもまだ何の気配もないので、近くのバルセローナ市歴史博物館へ行ってみる。しかし閉館間際で入れず、係員は「明日、日曜は無料だから明日来い」と言ってくれるので、翌日行くことにして再びカテドラル広場へ行き、石の縁石に座ってサルダーナの始まるのを待つ。前日と同じ様に広場で遊ぶ子供達をながめ(同じメンバーがやって来て遊んでいる)、日記を書く。しかしついにサルダーナはなかった。近くのバルに行ってビールを飲みながら軽くつまんで夕食代り。こういうやり方で食事をすると安上がり。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)