スペイン旅行 1980/08/29
8時頃だろうか、起床後外出の支度を済ませてから下(二階)の食堂に降りて行く。窓際の広場を見下ろせる二人掛けのテーブルに着きたかったのだがそこには先客がおり、部屋の受付寄りの大きなテーブルに着く。そこでアメリカ人の若い女の子と同席になる。コーヒーかココアかときくのでコーヒーにすると、大きなコップに一杯カフェオレを注いでくれる。それにパンとジャム、バター。パンはやはり旨い。同席のアメリカ女性と配偶者が英語で色々と話す。私も話されていることの内容は九割方分るのだが、自分から話す英話は出て来ないので、二人の話を聞くことにする。彼女は日本にも行ってノンノンのモデルもしたことのある人で、ボニーという名。日本の何が好きかとか、今どういう旅をしているかなどを話す。後の食事客が待っているので話を切り上げる。感じのいい女の子だったが、特にモデルという雰囲気もなく、ごく普通の女性。
食後、外出する。先ず歩いて10分もかからないシテ島内にあるコンシェルジュリーへ行く。ここは裁判所で、その一部がフランス革命時の監獄。二・三十人集ってからガイドに連れられて見学するようになっている。切符を買って暫く待たされる。老人クラブのような団体が来たところで、私達はこの団体と一緒に回ることになる。ガイドはフランス語で、学生のような女性。声もよく通り、はっきりした発音で、しかも軟らかい響き。スペイン語を聞き慣れた耳にはフランス語は軟らかい。暗く冷たく狭い牢獄がいくつか並び、ここは誰それが入っていたとフランス革命時の有名人の名が次々に出てくる。1時間程かかっただろうか、見終わったところで出口にガイドが立ち、チップを集める。
ここを見終わってから一度外に出、壁沿いに少し歩いて今度は教会堂に行く。途中ポツポツと雨が落ちてくる。コンシェルジュリーで組で買った切符でここに入る。内部はそれ程広くはなく、ステンドグラスが美しい程度で、たいしたことはない。教会を出ると雨が本降りになってきており、寒いので仕方なく一旦ホテルに戻り、傘とセーターを持って再び出掛ける。
プチ・パレに行く。昨日探してなかったモネの「水蓮」がひょっとしてここにあるのではないかと思って行ってみたわけだ。ここは作品数も多く建物も立派なのだが、閑散として人は少なく、又見るべきものもあまりない。入場料を払って入ったのだから一周するが、結局「水蓮jはない。見終わってから受付に「水蓮」のありかを尋ねるが、分からない。少し歩いて昨日行ったジュ・ドゥ・ポムへ行く。相変わらず混んでいて、雨宿りをしているような人もいる。ここの受付でも「水蓮」のありかを尋ねるが、分からない。昨日買い損ねたパンフレットを買って外に出る。裏道の方に入り、昼食を摂ろうと店を探すが、雨のせいもあるのだろう、どこも満員でなかなか入れない。やっと空席のある店に入り、テーブルに着く。サンドイッチを食べようと思って入ったのだが、サンドイッチはカウンターでしか駄目ということで、しかもカウンターが全く隙間がないほど混雑しており、かといってテーブルでちゃんとした食事をすると高いので、止めてこの店を出て又別の店を探す。やっと見付けた店は比較的すいており、テーブルでもサンドイッチが食べられるので、ソーセージ・サンドを注文する。出てきたのはあの長いフランス・パンを二つに切り、真ん中にソーセージを挟んだやつ。パンはまあまあだが、全体としてはそんなに美味しくはない。
再びジュ・ドゥ・ポムの方へ戻ってメトロに乗り、モンマルトルのサクレ・クールに向かう。アンベールでメトロを出ると、雨は激しく風も出ていて随分濡れる。坂道を登り、サクレ・クール寺院へ行く。
雨の中、下から見上げるサクレ・クールは白く美しい。雨のせいか人はほとんどいない。しかしサクレ・クールの堂内に入ると観光客も含めて随分人がいる。
中ではミサが行なわれている。売店(これも堂内にある)で絵葉書を買ったりしながら堂内を一周し、正面に向かって左手前の小さなドアから金を払って上に登る。狭い階段をずっと登って行くと、やがてドームの下端のようなところで一度外に出、風雨の中を小走りして再び中に入り、更に階段を登ると聖堂の天井の部分に出る。
下を見下ろすと、はるか下方でミサが行なわれている。写真を撮って更に階段を登るとドームの外側に出、パリの街並が見晴らせる外廊に出る。雨に煙っていて遠方は霞んでいるが、灰色に沈んだパリもなかなか良い。この頂上の直前でもう一度切符を確かめられた時には、配偶者の切符がなかなか見付からず、慌てる。これまでは切符は入る時に一度見られたらあとは全く用がなかったので、今度のようなことは渡欧以来初めて。又元の通路を通って下に降りるが、途中からは下り専用の階段になり、下り立った所は入口とは売店を挟んで反対側の所。ちょうどパイプ・オルガンが鳴り響き聖歌が歌われているところなので、椅子に座って暫く耳を傾ける。聖歌の時には司祭の一人が祭壇の真ん中前方に出て来てこちら側を向き、マイクに向かって歌いながら片手(右)をユラユラと振って指揮をする。ここのミサは教会建立以来一刻の休みもなく続けられてきているとのことで、私達が見ている間にも司祭達が交代する。司祭は4~5人で一組になっており、交代はこの組単位で行なわれている模様。ミサの方は説教あり聖歌あり聖書朗唱ありで、延々と続けられている。オルガンの響きがよいので立ち去り難い気もするが、きりがないので座を立ち、教会を出る。
外に出ると雨は少し小降りになっている。教会入口は観光客が又増えたのか、人の混み具合が又少しひどくなっている。
教会の石段を下り道路に出るとすぐ、坂を下るケーブル・カー(フニクリ・フニクラ)がある。モンマルトルは丘の上だからこんなものがあるのだろう。これに乗って丘を下ろうかとも思ったが見てみると距離が短いのでやめにし、線路沿いの階段を歩いて下ることにする。少し下った所でケーブル・カーを写真に撮ろうと思って動き出すのを待つが、なかなか動いてくれないので諦めて、駅に止まったままのところを撮って下る。下の駅の所まで下りついても、まだ電車は動かない。やはり歩いて正解だった。
ケーキを食べようということで少し歩くとケーキ屋があったので入り、コーヒーとケーキを注文する。ここのケーキはそれ程美味しくはなかった。一時間程休んでから店を出、又坂を下ってクリシー通りに出て右に曲がり、地下鉄の駅に向かって歩く。通りには洋服屋や食べ物屋が並び、それも全て庶民向けの店。菓子屋も随分あるが、アラブ系の菓子を売っている店が多く、あんなあまり美味しくないケーキなんか食べずにここまで来てから食べればよかったと後悔する。もう少し歩くとムーラン・ルージュだが、そこに行くのはやめて、ピガールからメトロに乗ってモンパルナスに向かう。
モンパルナスでメトロを出ると雨は止んでいる。緑の並木は水々しく、美しい。モンパルナスの墓地はすぐに見付かる。石の壁が高くて中が見えないので、壁に沿って入口を探して歩く。角を曲がって少し行った所に入口があるが、扉が閉まっていて表示に「5時まで」と書いてあり、少し間に合わなかったことが分かる。人通りの少ない通りで写真を撮り、ラスパイユ通りに出て歩く。
暫く歩いて右折し、リュクサンブール公園に行く。リュクサンブール庭園も芝生に木立が多く、雨上りの美しさを見せている。ここも人が少ない。中に柵で囲ったリンゴの木立があり、幾種類かのリンゴが実っている。取って食べたいほど。庭園の中をゆっくり歩き、上院の建物(リュクサンブール宮)を右に見て庭園を出る。そこから又少し歩いてカルチエ・ラタンに行く。
カルチエ・ラタンに来ると下町的な雰囲気になる。あまり目立たない建物が映画館になっていて、大島渚の「愛のコリーダ」をやっている。学生街とはいっても小さな本屋がいくつかある程度で、神田や早稲田とは街の様子が全く違っていて、普通の下町という感じ。
雨上りの道の向こう、建物の間に虹が見える。写真に撮ると虹は急速に消えてゆく。
濡れた石畳の上に八百屋さんが店を出し、野菜や果物を売っている。
サンジェルマン・デ・プレの辺りでクレープを食べようと思って探すが、探しだすとなかなかないもので、10分程探し歩いてやっと店を見付ける。一軒見付けるとその周辺に幾つも見付かる。その一つのカフェで道に並べられた椅子に座るが、なかなか注文を取りに来ないので止めて、角の立ち売りで店の中ではオバサンが一人で焼いている所があったので、ここで一番単純な砂糖だけをかけたクレープを焼いてもらって歩きながら食べる。
日没が近付いている。サン・ミッシェル橋を渡り、セーヌ沿いの歩道(道路の下、川面から1~2メートルの高さで橋の下をくぐっている)を歩いてホテルの方へ戻る。今夜はホテルのそばのドーフィーヌ広場に面したレストランで食事をしようと決めていたから。セーヌの岸辺をゆっくり歩いて行くと、三人の日本人観光客とすれ違う。橋の下からセーヌ越しに見るパリの夕暮れは、今日がパリ最後の、ヨーロッパ最後の夜だと思うせいか、又雨上りの為もあるのか、一層美しい。歩道をずっと歩いてシテ島の先端まで行き、又夕景色を眺める。公園の中を通って少し戻り、石段を登ってヘンリー4世像の下を過ぎ、ドーフィーヌ広場に出る。薄暗くなった広場に面して5~6軒のレストランがある。入口のメニューを見ながら一通り巡る。どれも似たような値段で迷うが、一軒に決めて入る。テーブルについて出てきたメニューを見るとやたらと高い。又入口のメニューを見間違ったのだ。今日のコースのつもりが今日の料理で、一品の値段をコースの値段だと思ってしまったらしい。どうしようかと迷ったが、高い店で貧しい食事をするよりはと思い、店を出る。やはりこの近辺はどこも同程度なので、安そうだったカルチエ・ラタンの方、サン・ミシェル広場周辺で食べることにして、今度はポン・ヌフを渡りセーヌの先程とは反対側の岸を歩いてサン・ミシェル広場へ行く。広場周辺で4~5軒見て回り、値段も安く雰囲気も良さそうなレストランに決めて入る。もう外は暗くなりかかっていて、やがてテーブルのローソクに火を灯してくれる。混んでいたが、一時間以上かけて食事をする。勿論ワインも。
コーヒーは他の店で飲むことにし、サン・ミシェル広場に面したカフェに入る。広場には極彩色のオンボロ・バスが停まっていて、学生らしい一団がこれで旅行に出掛けるらしい。旅も今夜で終わり明日は帰途につくのかと思うと、まだまだこの旅を続けて行きたいという気持が強まってくる。いつまでもこのカフェに座り続けたいが、それも出来ない。カフェを出てホテルに向かう。
すぐ近くにオートバイが沢山停まっている。パリの暴走族か。配偶者はこわいからと言うので私が写真を撮る。
サン・ミシェル橋を渡りシテ島を横切ってコンシュルジュリー側のセーヌの岸を歩いて帰ることにする。岸を歩いていると、ちょうどバトゥー・ムッシューがライトで岸辺の建物を照らしながら通り過ぎて行く。しばらく船や川を眺め、又旅の終わりを惜しむ。この旅のはじめにあのバトゥー・ムッシューに乗ってからまだ一ヶ月も経っていない。いや、もう一月が経ってしまった。この間に私達はスペインを一周して来たわけであるが、それがつい数日前のことのようにも思える。あの時は昼間が暑く夜が涼しく感じられたのに、8月の終わりでしかないのにこうしてセーヌの岸辺に立っていると、寒くて震えがきそうな季節になっている。ひっそりと街灯に照らされたドーフィーヌ広場。ホテルの部屋に戻るとそこで旅が終わるような気がして、いつまでも歩き続けたいような気分になる。
ホテルの部屋に帰る。ホテルは皆、寝静まったかのようにしんとしている。明日の出発に備えて荷物の詰め直しをする。カバンに、少々のことで崩れて持ち運びしにくくなるのを防ぐ為、ギューギューに荷を詰め込む。
https://dosperegrinos.net/2021/02/09/%e3%82%b9%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%b3%e6%97%85%e8%a1%8c%e3%80%801980-08-29/スペイン旅行8時頃だろうか、起床後外出の支度を済ませてから下(二階)の食堂に降りて行く。窓際の広場を見下ろせる二人掛けのテーブルに着きたかったのだがそこには先客がおり、部屋の受付寄りの大きなテーブルに着く。そこでアメリカ人の若い女の子と同席になる。コーヒーかココアかときくのでコーヒーにすると、大きなコップに一杯カフェオレを注いでくれる。それにパンとジャム、バター。パンはやはり旨い。同席のアメリカ女性と配偶者が英語で色々と話す。私も話されていることの内容は九割方分るのだが、自分から話す英話は出て来ないので、二人の話を聞くことにする。彼女は日本にも行ってノンノンのモデルもしたことのある人で、ボニーという名。日本の何が好きかとか、今どういう旅をしているかなどを話す。後の食事客が待っているので話を切り上げる。感じのいい女の子だったが、特にモデルという雰囲気もなく、ごく普通の女性。食後、外出する。先ず歩いて10分もかからないシテ島内にあるコンシェルジュリーへ行く。ここは裁判所で、その一部がフランス革命時の監獄。二・三十人集ってからガイドに連れられて見学するようになっている。切符を買って暫く待たされる。老人クラブのような団体が来たところで、私達はこの団体と一緒に回ることになる。ガイドはフランス語で、学生のような女性。声もよく通り、はっきりした発音で、しかも軟らかい響き。スペイン語を聞き慣れた耳にはフランス語は軟らかい。暗く冷たく狭い牢獄がいくつか並び、ここは誰それが入っていたとフランス革命時の有名人の名が次々に出てくる。1時間程かかっただろうか、見終わったところで出口にガイドが立ち、チップを集める。ここを見終わってから一度外に出、壁沿いに少し歩いて今度は教会堂に行く。途中ポツポツと雨が落ちてくる。コンシェルジュリーで組で買った切符でここに入る。内部はそれ程広くはなく、ステンドグラスが美しい程度で、たいしたことはない。教会を出ると雨が本降りになってきており、寒いので仕方なく一旦ホテルに戻り、傘とセーターを持って再び出掛ける。プチ・パレに行く。昨日探してなかったモネの「水蓮」がひょっとしてここにあるのではないかと思って行ってみたわけだ。ここは作品数も多く建物も立派なのだが、閑散として人は少なく、又見るべきものもあまりない。入場料を払って入ったのだから一周するが、結局「水蓮jはない。見終わってから受付に「水蓮」のありかを尋ねるが、分からない。少し歩いて昨日行ったジュ・ドゥ・ポムへ行く。相変わらず混んでいて、雨宿りをしているような人もいる。ここの受付でも「水蓮」のありかを尋ねるが、分からない。昨日買い損ねたパンフレットを買って外に出る。裏道の方に入り、昼食を摂ろうと店を探すが、雨のせいもあるのだろう、どこも満員でなかなか入れない。やっと空席のある店に入り、テーブルに着く。サンドイッチを食べようと思って入ったのだが、サンドイッチはカウンターでしか駄目ということで、しかもカウンターが全く隙間がないほど混雑しており、かといってテーブルでちゃんとした食事をすると高いので、止めてこの店を出て又別の店を探す。やっと見付けた店は比較的すいており、テーブルでもサンドイッチが食べられるので、ソーセージ・サンドを注文する。出てきたのはあの長いフランス・パンを二つに切り、真ん中にソーセージを挟んだやつ。パンはまあまあだが、全体としてはそんなに美味しくはない。再びジュ・ドゥ・ポムの方へ戻ってメトロに乗り、モンマルトルのサクレ・クールに向かう。アンベールでメトロを出ると、雨は激しく風も出ていて随分濡れる。坂道を登り、サクレ・クール寺院へ行く。雨の中、下から見上げるサクレ・クールは白く美しい。雨のせいか人はほとんどいない。しかしサクレ・クールの堂内に入ると観光客も含めて随分人がいる。中ではミサが行なわれている。売店(これも堂内にある)で絵葉書を買ったりしながら堂内を一周し、正面に向かって左手前の小さなドアから金を払って上に登る。狭い階段をずっと登って行くと、やがてドームの下端のようなところで一度外に出、風雨の中を小走りして再び中に入り、更に階段を登ると聖堂の天井の部分に出る。下を見下ろすと、はるか下方でミサが行なわれている。写真を撮って更に階段を登るとドームの外側に出、パリの街並が見晴らせる外廊に出る。雨に煙っていて遠方は霞んでいるが、灰色に沈んだパリもなかなか良い。この頂上の直前でもう一度切符を確かめられた時には、配偶者の切符がなかなか見付からず、慌てる。これまでは切符は入る時に一度見られたらあとは全く用がなかったので、今度のようなことは渡欧以来初めて。又元の通路を通って下に降りるが、途中からは下り専用の階段になり、下り立った所は入口とは売店を挟んで反対側の所。ちょうどパイプ・オルガンが鳴り響き聖歌が歌われているところなので、椅子に座って暫く耳を傾ける。聖歌の時には司祭の一人が祭壇の真ん中前方に出て来てこちら側を向き、マイクに向かって歌いながら片手(右)をユラユラと振って指揮をする。ここのミサは教会建立以来一刻の休みもなく続けられてきているとのことで、私達が見ている間にも司祭達が交代する。司祭は4~5人で一組になっており、交代はこの組単位で行なわれている模様。ミサの方は説教あり聖歌あり聖書朗唱ありで、延々と続けられている。オルガンの響きがよいので立ち去り難い気もするが、きりがないので座を立ち、教会を出る。外に出ると雨は少し小降りになっている。教会入口は観光客が又増えたのか、人の混み具合が又少しひどくなっている。教会の石段を下り道路に出るとすぐ、坂を下るケーブル・カー(フニクリ・フニクラ)がある。モンマルトルは丘の上だからこんなものがあるのだろう。これに乗って丘を下ろうかとも思ったが見てみると距離が短いのでやめにし、線路沿いの階段を歩いて下ることにする。少し下った所でケーブル・カーを写真に撮ろうと思って動き出すのを待つが、なかなか動いてくれないので諦めて、駅に止まったままのところを撮って下る。下の駅の所まで下りついても、まだ電車は動かない。やはり歩いて正解だった。ケーキを食べようということで少し歩くとケーキ屋があったので入り、コーヒーとケーキを注文する。ここのケーキはそれ程美味しくはなかった。一時間程休んでから店を出、又坂を下ってクリシー通りに出て右に曲がり、地下鉄の駅に向かって歩く。通りには洋服屋や食べ物屋が並び、それも全て庶民向けの店。菓子屋も随分あるが、アラブ系の菓子を売っている店が多く、あんなあまり美味しくないケーキなんか食べずにここまで来てから食べればよかったと後悔する。もう少し歩くとムーラン・ルージュだが、そこに行くのはやめて、ピガールからメトロに乗ってモンパルナスに向かう。モンパルナスでメトロを出ると雨は止んでいる。緑の並木は水々しく、美しい。モンパルナスの墓地はすぐに見付かる。石の壁が高くて中が見えないので、壁に沿って入口を探して歩く。角を曲がって少し行った所に入口があるが、扉が閉まっていて表示に「5時まで」と書いてあり、少し間に合わなかったことが分かる。人通りの少ない通りで写真を撮り、ラスパイユ通りに出て歩く。暫く歩いて右折し、リュクサンブール公園に行く。リュクサンブール庭園も芝生に木立が多く、雨上りの美しさを見せている。ここも人が少ない。中に柵で囲ったリンゴの木立があり、幾種類かのリンゴが実っている。取って食べたいほど。庭園の中をゆっくり歩き、上院の建物(リュクサンブール宮)を右に見て庭園を出る。そこから又少し歩いてカルチエ・ラタンに行く。カルチエ・ラタンに来ると下町的な雰囲気になる。あまり目立たない建物が映画館になっていて、大島渚の「愛のコリーダ」をやっている。学生街とはいっても小さな本屋がいくつかある程度で、神田や早稲田とは街の様子が全く違っていて、普通の下町という感じ。雨上りの道の向こう、建物の間に虹が見える。写真に撮ると虹は急速に消えてゆく。濡れた石畳の上に八百屋さんが店を出し、野菜や果物を売っている。サンジェルマン・デ・プレの辺りでクレープを食べようと思って探すが、探しだすとなかなかないもので、10分程探し歩いてやっと店を見付ける。一軒見付けるとその周辺に幾つも見付かる。その一つのカフェで道に並べられた椅子に座るが、なかなか注文を取りに来ないので止めて、角の立ち売りで店の中ではオバサンが一人で焼いている所があったので、ここで一番単純な砂糖だけをかけたクレープを焼いてもらって歩きながら食べる。日没が近付いている。サン・ミッシェル橋を渡り、セーヌ沿いの歩道(道路の下、川面から1~2メートルの高さで橋の下をくぐっている)を歩いてホテルの方へ戻る。今夜はホテルのそばのドーフィーヌ広場に面したレストランで食事をしようと決めていたから。セーヌの岸辺をゆっくり歩いて行くと、三人の日本人観光客とすれ違う。橋の下からセーヌ越しに見るパリの夕暮れは、今日がパリ最後の、ヨーロッパ最後の夜だと思うせいか、又雨上りの為もあるのか、一層美しい。歩道をずっと歩いてシテ島の先端まで行き、又夕景色を眺める。公園の中を通って少し戻り、石段を登ってヘンリー4世像の下を過ぎ、ドーフィーヌ広場に出る。薄暗くなった広場に面して5~6軒のレストランがある。入口のメニューを見ながら一通り巡る。どれも似たような値段で迷うが、一軒に決めて入る。テーブルについて出てきたメニューを見るとやたらと高い。又入口のメニューを見間違ったのだ。今日のコースのつもりが今日の料理で、一品の値段をコースの値段だと思ってしまったらしい。どうしようかと迷ったが、高い店で貧しい食事をするよりはと思い、店を出る。やはりこの近辺はどこも同程度なので、安そうだったカルチエ・ラタンの方、サン・ミシェル広場周辺で食べることにして、今度はポン・ヌフを渡りセーヌの先程とは反対側の岸を歩いてサン・ミシェル広場へ行く。広場周辺で4~5軒見て回り、値段も安く雰囲気も良さそうなレストランに決めて入る。もう外は暗くなりかかっていて、やがてテーブルのローソクに火を灯してくれる。混んでいたが、一時間以上かけて食事をする。勿論ワインも。コーヒーは他の店で飲むことにし、サン・ミシェル広場に面したカフェに入る。広場には極彩色のオンボロ・バスが停まっていて、学生らしい一団がこれで旅行に出掛けるらしい。旅も今夜で終わり明日は帰途につくのかと思うと、まだまだこの旅を続けて行きたいという気持が強まってくる。いつまでもこのカフェに座り続けたいが、それも出来ない。カフェを出てホテルに向かう。すぐ近くにオートバイが沢山停まっている。パリの暴走族か。配偶者はこわいからと言うので私が写真を撮る。サン・ミシェル橋を渡りシテ島を横切ってコンシュルジュリー側のセーヌの岸を歩いて帰ることにする。岸を歩いていると、ちょうどバトゥー・ムッシューがライトで岸辺の建物を照らしながら通り過ぎて行く。しばらく船や川を眺め、又旅の終わりを惜しむ。この旅のはじめにあのバトゥー・ムッシューに乗ってからまだ一ヶ月も経っていない。いや、もう一月が経ってしまった。この間に私達はスペインを一周して来たわけであるが、それがつい数日前のことのようにも思える。あの時は昼間が暑く夜が涼しく感じられたのに、8月の終わりでしかないのにこうしてセーヌの岸辺に立っていると、寒くて震えがきそうな季節になっている。ひっそりと街灯に照らされたドーフィーヌ広場。ホテルの部屋に戻るとそこで旅が終わるような気がして、いつまでも歩き続けたいような気分になる。ホテルの部屋に帰る。ホテルは皆、寝静まったかのようにしんとしている。明日の出発に備えて荷物の詰め直しをする。カバンに、少々のことで崩れて持ち運びしにくくなるのを防ぐ為、ギューギューに荷を詰め込む。Andrés 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