10:10

「ロウ人形館」内には政治家、映画スター、歴史上の事件、有名な殺人事件、映画の名場面、ゴヤの絵等々を人形にして展示。薄暗い中で見ると非常によくできている。

西部劇の場面でベンチに座っている人形の隣に私が同じ格好をして座って写真をとってもらっていると、通りがかりの人達が笑って見ている。スペイン人がほとんどだが、入場者は多くかなり混雑していた。

コロン広場に出てしばらく日記を書いたりして過ごす。この広場ではものすごい量の水を幅広く滝のようにして流していて、その下が市民劇場になっている。

2時を過ぎたので昼食をとりに歩き出すが、コロン広場の近辺にはレストランは一軒もなく、アルカラ門の方へ行ってやっと二軒見つける。うち一軒には客が誰もいないのでやめ、もう一軒の少しは客の入っている方へ入る。

昼食後レティーロ公園に入る。入ってすぐのところに人形劇場がある。夜8時から上演となっているので、後で見に来ることにする。さらに進むと大きな池があり、いくらか温度が下がったとは言え、暑い日向の池の中でボートに乗っている人が何組か見られる。

さらに奥には別の池があって、そこでは白鳥、カモ、アヒル等が泳ぎ、池の反対側には温室のようにガラスばりのクリスタル館が見える。

ここで陸に上がったアヒルと少し遊ぶ。公園の入口とは反対側の方まで行ってみると、道路をへだててきれいに手入れされた庭園があり、サルビアの花などが咲いている。またもとの公園の方にもどりバラ園を見る。

バラの花は結構咲いてはいるが、暑さのためか勢いがない。

ボートのある池にもどり、池の畔のカフェで休憩。日記を書く。池の方を見ると、夕方近くなってボートの数がどんどん増えていく。足で漕ぐ2人乗りのボート、手で漕ぐ2人乗りや4人乗りのボート。この大きい方は幅がずいぶん広く、大人が二人並んで座るようになっている。他にカヌーもある。こうしたボートが行きかうなかを遊覧船までが走る。ここのカフェで2時間ほど過ごす。

8時近くなったので、そろそろ宿に行って預けた荷物をとり、駅へ行くことにする。

公園の出口へ向かって歩くと、5人の青年がフォルクローレを演奏している。うまいので人が沢山集まっており、5ptsあげに行ってみると、ギターケースの中には100pts紙幣を含めて恐らく数千ptsにはなるだろう沢山の硬貨が入れられている。これまでスペインで聴いた大道音楽師の中ではたぶん一番うまく、またお金も一番沢山集めていたのがこのグループだろう。一寸離れたところでもいく組かが演奏していたが、いずれもそれほどうまくなく、金もたいして集まっていなかったし、聴衆も少なかった。

一寸中に入ったところでは色の黒い男が一人で人形劇を上演している。その前には子供達が座り、劇で何かセリフがしゃべられると一斉にかわいい声を上げて反応している。少し見てみようと思って近づくと、劇は終わってしまった。

また少し歩くと手品の大道芸をやっている。ハンカチを使った手品で、観衆は沢山集まっているのだが、何となく白けている。

最初の人形劇場ではちょうど上演中で、席はほとんど満員。子供達の中には席と舞台との間の地面に座り込んでいる者も多い。また回りをタダ見の人々が沢山とり囲んでいる。劇の筋は分らないが、一幕が終わる直前、主人公が可哀そうな境遇になったのか、子供達の間からNiña, Niñaという叫びがあがる。劇が上演され、観客がそれに反応し、それがまた上演者の反応を呼ぶというのはテレビにはない良さだろう。

マヨール広場が観光客ばかりでつまらなくなっているのに対し、このレティーロ公園はほとんどがマドリー市民で、こちらの方がはるかに面白い場所になってきている。もっとこのレティー口で過ごしたかったが、列車の時間もあるので、宿に向かうことにする。

歩いて宿へ戻り、荷を持って出る。宿の人はカウンターにいなかったので、メモに Muchas Gracias, Adiós と書いて紙人形と一緒に置いてくる。チャマルティン駅までの地下鉄はないとガイドブックに書いてあったので、地下鉄でアトーチャへ行き、そこから連絡の国鉄線でチャマルティンへ行こうと思い、ソルで地下鉄へ入ってみるとちゃんとメトロはチャマルティンへ行っている。

11:10

 

22:00

チャマルティン駅には21時半ごろに着く。この駅を利用するのは初めてだが、マドリーで一番新しく設備も近代的で列車の出発等が分りやすい。駅のカフェで軽い夕食をすませてから列車に乗り込む。今回は普通の寝台。どれが何号車なのかはすぐに分ったが、車内でどこが私達の席なのかが分らない。切符には81と83となっているが、そんな番号はどこをさがしても出ていないのだ。各室の入口に9とか8とか書いてあるので切符の番号の10の位がこれだろうと考え、8号室に入る。3段ベッドが二列で計6個のベッド。私達の1と3がどのベッドか分らない。入口でどうしようかと迷っていると隣室の人が教えてくれるには、入って右側が下から1・2・3で左側が同じく下ら4・5・6だとのこと。すると私達は下と上ということになる。変な切符の売り方をしたものだ。そのうちスペイン人の女性2人が大きなリュックを持って入ってくる。棚に上げるのを手伝ってあげる。彼女達もベッドの場所がよく分かっていない。私は車掌が来るまで待とうと言って待つが、配偶者は待ち切れず彼女達と交渉して、私達二人が上の二つを使うことで話しをつける。ところが間もなく車掌がやってきて言うには、入口から見て左下が1、右下が2、左中が3、右中が4、左上が5、右上が6とのことで、上2つも予約されているとのこと。結局車掌の言に従ってベッドに入る。

列車は定刻の22時40分に発車。窓は風圧で自然に閉まってしまうため、配偶者は起きて何度も開けている。私はベッドに入ってもなかなか寝つけず、少しウトウトしては目が覚めることのくり返し。それほど暑くはなかったが、口がカラカラに乾いてしまった。この日は「マドリー市民の休日」という感じの1日を過ごしたようだ。

 

昨日(22日)は、列車は少し遅れて8時半にバルセローナ・テルミノ駅に到着。あの港の近く、湾を横切るロープウェイも近い古い駅。駅のトイレで洗面をすませようとしたが、水道の水がほんのちょろちょろとしか出ないため、あきらめる。まだ朝早く、しかもこの日は日曜日なので、あまり早く宿へ行っても悪いし、又前の客が出ていなくても困るので、駅のカフェで朝食をすませてから歩きはじめる。宿はゴシック地区にあり、前回、最初に泊まったレイエターナ。一寸地図を見ると場所を思い出す。空には薄く雲が流れ、もう秋空の感じ。

宿には9時40分ごろに着く。掃除中なのだろう、10分ほど待つように言われる。やがて部屋に連れて行ってくれる。今度の部屋は一番奥で、やはり窓からはカテドラルの上部が見える。荷物の整理をし、体をタオルで拭いて少し休憩。ガイドブックには日曜正午からカテドラル前でサルダーナがあるとのことなので、前回行って見られなかったが、もう一度試しに行ってみることにする。正午少し前に行ってみると、前にはこんなことはなかったのに観光バスが10台ほども来て停まり、カテドラルの脇には土産物屋が2軒できてしまっている。しばらく広場の石段に座って日記を書きながら待つが、やはりサルダーナは始まらない。夏はやらないのだろう。12時15分まで待ってから広場を離れる。

ランブラスに面した装飾美術館に行く。切符を買って荷物を預けてから見て回る。最初の半分は懐中時計とライティングデスクなどの家具。細かい装飾が施されているものがたくさん展示してある。食器類の展示もある。絵画の部にも行ってみるが、見るべきものはない。この美術館はどこにどんな展示があるのかよくわからず、何だか全部を見終わったのかよく分からずに出る。

22:45

 

23:40

装飾美術館から、前回も外から見たガウディのカサミラへ行ってみる。中が演劇博物館になっているとのことなので中に入ってみようと思っていたが、行ってみると入口はきっちり閉められていて入れないので、またもや外から見ただけに終わる。

ランブラスをコロンブス記念柱の方へ歩く。小物類(アクセサリーやおもちゃの類)を売る屋台がたくさん出ているが、大したものはない。ランブラスを引き返し「カラコーレス」というレストランで昼食をとることにする。ランブラスからほんの少し脇道に入ったところ。この横丁に並んだレストランやバルでは店の前で鶏を丸焼きにしている。他の店がガスの火で焼いている中で、カラコーレスだけは薪で焼いている。バルとレストランが一緒になっていて入口付近でメニューを探しているうちに日本人の団体十数人がこの店に入っていった。ちょっと遅れて私たちも入ったが、日本人団体は店の他の部分に入れられたらしく見えない。店は大変な混雑。配偶者はカタツムリ、私はガスパッチョ、それと二人でパエリア。配偶者のカタツムリは一個一個は小さいのだが数が多く、皿いっぱいに出てきたので食べきれずに半分近くも残している。私はもちろん手が出ない。パエリアはエビが一人に4匹も入り、結構うまく二人ともほとんど全部食べてしまう。ポストレで配偶者はまともにフランをとったが、メニューを見るとクレマ・カタラナ(カタラン・クリーム)というのがあったので、ちょっと値段が高いがとってみることにする。どんなものが出てくるのか想像もつかなかったが、しばらくして持って来られたものは直径15cm深さ3cm程の円筒形の皿にカスタードクリームを入れ、砂糖をまぶしてからオーブンで焼いてそれを冷ましたもの。上の砂糖が薄板に固まっている。まずくはないがポストレという感覚からは遠く、甘くてもう一度食べようという気にはなれない。これが出てきた時、配偶者と二人で笑い合い、またそれを見ていた隣のイタリア人も笑っていた。

このイタリア人たちは団体らしく、店内でカメラを出して互いに写真を撮り合っていたが、そのカメラが日本製で、私たちが日本人と気づくと、しきりにカメラを示して「Bon」とかなんとか言って愛想を振りまいていた。

私たちが食事を終える少し前に先ほどの日本人団体が店の奥の方から出てきて、「やっぱり一時間半かかったなあ」などと言いながら店を出て行った。別に変なことをしているわけではないのだが、日本人団体がそばを通るとこちらはなぜか気恥ずかしくなる。この団体は店に入る前、店の前まで来た途端に一斉に鷄を焼いているところを写真に撮っていた。そのカメラを向ける速さが少々異様ではあったが。

この店の名はカタツムリという意味で、パンもカタツムリの形をし、店内の階段の手すりなどにもカタツムリの彫刻が施され、店内の壁にはこの店を訪れた有名人の写真が多数貼ってある。客は観光客も多いが、地元の人も結構入っていた。

カタルーニャ広場から1 kmほど先のカサ・バトリョに行こうと歩き始めるが、カタルーニャ広場まで行ったところで配偶者の疲れがひどく、私も疲れていたので宿に戻って休むことにする。やはり夜行はたとえ寝台でも疲れるものらしい。

宿に帰って5時から8時まで眠る。これでだいぶ元気になり再び外出。モンジュイックの丘のプエブロ・エスパーニャ下の噴水が土曜・日曜の夜は水と光のショーを繰り広げるというので、それを見に行こうというのだ。

カタルーニャ広場からメトロでエスパーニャ広場へ行き、そこから少し歩いて噴水に着いたのは9時少し過ぎ。ショーが始まるのは10時なのでそれまで噴水の縁の石段に座って待つ。市民がたくさん集まり、上の広場にはたくさんの観光バスが来て、上の階段は徐々に観光客で埋められていく。

噴水の近くにはメリーゴーラウンドが1台置かれ、小さな子供たちが乗って遊んでいる。中には1歳にもならないような赤ん坊が父親に支えられて木馬に乗っているのも見える。

10時きっかりにショーは始まる。猛烈な勢いで水が噴き出し、光がともる。水は高くなったり低くなったり、太くなったり細くなったり、垂直に上がったり斜めになったり、細かい霧状になったり、互いぶつけられたり、様々に変化する。ライトの色も赤・緑・青・オレンジ・紫・白等に変化する。水と光の多数の組み合わせで、全く同じ形は二度と繰り返されない。

噴水に見とれていると、30分ほどして後方のプエブロ・エスパーニャの入口にある宮殿のような建物の背後から、放射状に9本のサーチライトが空を照らす。これではまるでディズニー映画。階段にも小さな噴水があり、そこにもいくつかの色の照明がつく。噴水の周囲に集まった観衆はしばらくこの水と光の大団円に見とれて歓声を上げる。1時間ほどしてバスで来ていた観光客はほとんど引き上げ、市民の数もだいぶ減ってきたが、どんな終わり方をするのか最後まで見ることにする。ここではポテトチップやチューロを揚げて売る店が一番繁盛している。私たちもポテトチップを買って食べるが、なるほど美味い。他に蛇のぬいぐるみを売る店、ずいぶんたくさん品物を並べているが、あまり売れ行きが良くなさそう。夜光ビニールの紐を数十本手に持って売り歩く何人かの売り子。一本100ペセタで、これは割合によく売れている。

やがて12時にショーは終わる。まずサーチライトが消え、次に噴水の照明が消え、最後に水が止まる。あまり良い趣味とは言えないが、楽しめるものではあった。

メトロで帰る。地下道を歩いていると他に誰もいない部分があり、少し怖い。カタルーニャ広場で一度降りるが、その時、乗客の中に腕をドアに挟まれた人がおり、電車はそのまま走り去った。腕が曲がっていたので大丈夫だろうとは思うが、ここのメトロはとにかくドアの閉まるのが早く、しかも車掌がいないようなので気をつけないと危険。もう一度1号線に乗り、一駅で乗り換え、宿の近くで降りて帰る。

体を拭いたりして就寝は1時過ぎ。

24:35

 

/images/2024/04/08-21 レティーロ公園の子供たち-700x489.webp/images/2024/04/08-21 レティーロ公園の子供たち-150x150.webpAndrésスペイン旅行10:10 「ロウ人形館」内には政治家、映画スター、歴史上の事件、有名な殺人事件、映画の名場面、ゴヤの絵等々を人形にして展示。薄暗い中で見ると非常によくできている。 西部劇の場面でベンチに座っている人形の隣に私が同じ格好をして座って写真をとってもらっていると、通りがかりの人達が笑って見ている。スペイン人がほとんどだが、入場者は多くかなり混雑していた。 コロン広場に出てしばらく日記を書いたりして過ごす。この広場ではものすごい量の水を幅広く滝のようにして流していて、その下が市民劇場になっている。 2時を過ぎたので昼食をとりに歩き出すが、コロン広場の近辺にはレストランは一軒もなく、アルカラ門の方へ行ってやっと二軒見つける。うち一軒には客が誰もいないのでやめ、もう一軒の少しは客の入っている方へ入る。 昼食後レティーロ公園に入る。入ってすぐのところに人形劇場がある。夜8時から上演となっているので、後で見に来ることにする。さらに進むと大きな池があり、いくらか温度が下がったとは言え、暑い日向の池の中でボートに乗っている人が何組か見られる。 さらに奥には別の池があって、そこでは白鳥、カモ、アヒル等が泳ぎ、池の反対側には温室のようにガラスばりのクリスタル館が見える。 ここで陸に上がったアヒルと少し遊ぶ。公園の入口とは反対側の方まで行ってみると、道路をへだててきれいに手入れされた庭園があり、サルビアの花などが咲いている。またもとの公園の方にもどりバラ園を見る。 バラの花は結構咲いてはいるが、暑さのためか勢いがない。 ボートのある池にもどり、池の畔のカフェで休憩。日記を書く。池の方を見ると、夕方近くなってボートの数がどんどん増えていく。足で漕ぐ2人乗りのボート、手で漕ぐ2人乗りや4人乗りのボート。この大きい方は幅がずいぶん広く、大人が二人並んで座るようになっている。他にカヌーもある。こうしたボートが行きかうなかを遊覧船までが走る。ここのカフェで2時間ほど過ごす。 8時近くなったので、そろそろ宿に行って預けた荷物をとり、駅へ行くことにする。 公園の出口へ向かって歩くと、5人の青年がフォルクローレを演奏している。うまいので人が沢山集まっており、5ptsあげに行ってみると、ギターケースの中には100pts紙幣を含めて恐らく数千ptsにはなるだろう沢山の硬貨が入れられている。これまでスペインで聴いた大道音楽師の中ではたぶん一番うまく、またお金も一番沢山集めていたのがこのグループだろう。一寸離れたところでもいく組かが演奏していたが、いずれもそれほどうまくなく、金もたいして集まっていなかったし、聴衆も少なかった。 一寸中に入ったところでは色の黒い男が一人で人形劇を上演している。その前には子供達が座り、劇で何かセリフがしゃべられると一斉にかわいい声を上げて反応している。少し見てみようと思って近づくと、劇は終わってしまった。 また少し歩くと手品の大道芸をやっている。ハンカチを使った手品で、観衆は沢山集まっているのだが、何となく白けている。 最初の人形劇場ではちょうど上演中で、席はほとんど満員。子供達の中には席と舞台との間の地面に座り込んでいる者も多い。また回りをタダ見の人々が沢山とり囲んでいる。劇の筋は分らないが、一幕が終わる直前、主人公が可哀そうな境遇になったのか、子供達の間からNiña, Niñaという叫びがあがる。劇が上演され、観客がそれに反応し、それがまた上演者の反応を呼ぶというのはテレビにはない良さだろう。 マヨール広場が観光客ばかりでつまらなくなっているのに対し、このレティーロ公園はほとんどがマドリー市民で、こちらの方がはるかに面白い場所になってきている。もっとこのレティー口で過ごしたかったが、列車の時間もあるので、宿に向かうことにする。 歩いて宿へ戻り、荷を持って出る。宿の人はカウンターにいなかったので、メモに Muchas Gracias, Adiós と書いて紙人形と一緒に置いてくる。チャマルティン駅までの地下鉄はないとガイドブックに書いてあったので、地下鉄でアトーチャへ行き、そこから連絡の国鉄線でチャマルティンへ行こうと思い、ソルで地下鉄へ入ってみるとちゃんとメトロはチャマルティンへ行っている。 11:10   22:00 チャマルティン駅には21時半ごろに着く。この駅を利用するのは初めてだが、マドリーで一番新しく設備も近代的で列車の出発等が分りやすい。駅のカフェで軽い夕食をすませてから列車に乗り込む。今回は普通の寝台。どれが何号車なのかはすぐに分ったが、車内でどこが私達の席なのかが分らない。切符には81と83となっているが、そんな番号はどこをさがしても出ていないのだ。各室の入口に9とか8とか書いてあるので切符の番号の10の位がこれだろうと考え、8号室に入る。3段ベッドが二列で計6個のベッド。私達の1と3がどのベッドか分らない。入口でどうしようかと迷っていると隣室の人が教えてくれるには、入って右側が下から1・2・3で左側が同じく下ら4・5・6だとのこと。すると私達は下と上ということになる。変な切符の売り方をしたものだ。そのうちスペイン人の女性2人が大きなリュックを持って入ってくる。棚に上げるのを手伝ってあげる。彼女達もベッドの場所がよく分かっていない。私は車掌が来るまで待とうと言って待つが、配偶者は待ち切れず彼女達と交渉して、私達二人が上の二つを使うことで話しをつける。ところが間もなく車掌がやってきて言うには、入口から見て左下が1、右下が2、左中が3、右中が4、左上が5、右上が6とのことで、上2つも予約されているとのこと。結局車掌の言に従ってベッドに入る。 列車は定刻の22時40分に発車。窓は風圧で自然に閉まってしまうため、配偶者は起きて何度も開けている。私はベッドに入ってもなかなか寝つけず、少しウトウトしては目が覚めることのくり返し。それほど暑くはなかったが、口がカラカラに乾いてしまった。この日は「マドリー市民の休日」という感じの1日を過ごしたようだ。   昨日(22日)は、列車は少し遅れて8時半にバルセローナ・テルミノ駅に到着。あの港の近く、湾を横切るロープウェイも近い古い駅。駅のトイレで洗面をすませようとしたが、水道の水がほんのちょろちょろとしか出ないため、あきらめる。まだ朝早く、しかもこの日は日曜日なので、あまり早く宿へ行っても悪いし、又前の客が出ていなくても困るので、駅のカフェで朝食をすませてから歩きはじめる。宿はゴシック地区にあり、前回、最初に泊まったレイエターナ。一寸地図を見ると場所を思い出す。空には薄く雲が流れ、もう秋空の感じ。 宿には9時40分ごろに着く。掃除中なのだろう、10分ほど待つように言われる。やがて部屋に連れて行ってくれる。今度の部屋は一番奥で、やはり窓からはカテドラルの上部が見える。荷物の整理をし、体をタオルで拭いて少し休憩。ガイドブックには日曜正午からカテドラル前でサルダーナがあるとのことなので、前回行って見られなかったが、もう一度試しに行ってみることにする。正午少し前に行ってみると、前にはこんなことはなかったのに観光バスが10台ほども来て停まり、カテドラルの脇には土産物屋が2軒できてしまっている。しばらく広場の石段に座って日記を書きながら待つが、やはりサルダーナは始まらない。夏はやらないのだろう。12時15分まで待ってから広場を離れる。 ランブラスに面した装飾美術館に行く。切符を買って荷物を預けてから見て回る。最初の半分は懐中時計とライティングデスクなどの家具。細かい装飾が施されているものがたくさん展示してある。食器類の展示もある。絵画の部にも行ってみるが、見るべきものはない。この美術館はどこにどんな展示があるのかよくわからず、何だか全部を見終わったのかよく分からずに出る。 22:45   23:40 装飾美術館から、前回も外から見たガウディのカサミラへ行ってみる。中が演劇博物館になっているとのことなので中に入ってみようと思っていたが、行ってみると入口はきっちり閉められていて入れないので、またもや外から見ただけに終わる。 ランブラスをコロンブス記念柱の方へ歩く。小物類(アクセサリーやおもちゃの類)を売る屋台がたくさん出ているが、大したものはない。ランブラスを引き返し「カラコーレス」というレストランで昼食をとることにする。ランブラスからほんの少し脇道に入ったところ。この横丁に並んだレストランやバルでは店の前で鶏を丸焼きにしている。他の店がガスの火で焼いている中で、カラコーレスだけは薪で焼いている。バルとレストランが一緒になっていて入口付近でメニューを探しているうちに日本人の団体十数人がこの店に入っていった。ちょっと遅れて私たちも入ったが、日本人団体は店の他の部分に入れられたらしく見えない。店は大変な混雑。配偶者はカタツムリ、私はガスパッチョ、それと二人でパエリア。配偶者のカタツムリは一個一個は小さいのだが数が多く、皿いっぱいに出てきたので食べきれずに半分近くも残している。私はもちろん手が出ない。パエリアはエビが一人に4匹も入り、結構うまく二人ともほとんど全部食べてしまう。ポストレで配偶者はまともにフランをとったが、メニューを見るとクレマ・カタラナ(カタラン・クリーム)というのがあったので、ちょっと値段が高いがとってみることにする。どんなものが出てくるのか想像もつかなかったが、しばらくして持って来られたものは直径15cm深さ3cm程の円筒形の皿にカスタードクリームを入れ、砂糖をまぶしてからオーブンで焼いてそれを冷ましたもの。上の砂糖が薄板に固まっている。まずくはないがポストレという感覚からは遠く、甘くてもう一度食べようという気にはなれない。これが出てきた時、配偶者と二人で笑い合い、またそれを見ていた隣のイタリア人も笑っていた。 このイタリア人たちは団体らしく、店内でカメラを出して互いに写真を撮り合っていたが、そのカメラが日本製で、私たちが日本人と気づくと、しきりにカメラを示して「Bon」とかなんとか言って愛想を振りまいていた。 私たちが食事を終える少し前に先ほどの日本人団体が店の奥の方から出てきて、「やっぱり一時間半かかったなあ」などと言いながら店を出て行った。別に変なことをしているわけではないのだが、日本人団体がそばを通るとこちらはなぜか気恥ずかしくなる。この団体は店に入る前、店の前まで来た途端に一斉に鷄を焼いているところを写真に撮っていた。そのカメラを向ける速さが少々異様ではあったが。 この店の名はカタツムリという意味で、パンもカタツムリの形をし、店内の階段の手すりなどにもカタツムリの彫刻が施され、店内の壁にはこの店を訪れた有名人の写真が多数貼ってある。客は観光客も多いが、地元の人も結構入っていた。 カタルーニャ広場から1 kmほど先のカサ・バトリョに行こうと歩き始めるが、カタルーニャ広場まで行ったところで配偶者の疲れがひどく、私も疲れていたので宿に戻って休むことにする。やはり夜行はたとえ寝台でも疲れるものらしい。 宿に帰って5時から8時まで眠る。これでだいぶ元気になり再び外出。モンジュイックの丘のプエブロ・エスパーニャ下の噴水が土曜・日曜の夜は水と光のショーを繰り広げるというので、それを見に行こうというのだ。 カタルーニャ広場からメトロでエスパーニャ広場へ行き、そこから少し歩いて噴水に着いたのは9時少し過ぎ。ショーが始まるのは10時なのでそれまで噴水の縁の石段に座って待つ。市民がたくさん集まり、上の広場にはたくさんの観光バスが来て、上の階段は徐々に観光客で埋められていく。 噴水の近くにはメリーゴーラウンドが1台置かれ、小さな子供たちが乗って遊んでいる。中には1歳にもならないような赤ん坊が父親に支えられて木馬に乗っているのも見える。 10時きっかりにショーは始まる。猛烈な勢いで水が噴き出し、光がともる。水は高くなったり低くなったり、太くなったり細くなったり、垂直に上がったり斜めになったり、細かい霧状になったり、互いぶつけられたり、様々に変化する。ライトの色も赤・緑・青・オレンジ・紫・白等に変化する。水と光の多数の組み合わせで、全く同じ形は二度と繰り返されない。 噴水に見とれていると、30分ほどして後方のプエブロ・エスパーニャの入口にある宮殿のような建物の背後から、放射状に9本のサーチライトが空を照らす。これではまるでディズニー映画。階段にも小さな噴水があり、そこにもいくつかの色の照明がつく。噴水の周囲に集まった観衆はしばらくこの水と光の大団円に見とれて歓声を上げる。1時間ほどしてバスで来ていた観光客はほとんど引き上げ、市民の数もだいぶ減ってきたが、どんな終わり方をするのか最後まで見ることにする。ここではポテトチップやチューロを揚げて売る店が一番繁盛している。私たちもポテトチップを買って食べるが、なるほど美味い。他に蛇のぬいぐるみを売る店、ずいぶんたくさん品物を並べているが、あまり売れ行きが良くなさそう。夜光ビニールの紐を数十本手に持って売り歩く何人かの売り子。一本100ペセタで、これは割合によく売れている。 やがて12時にショーは終わる。まずサーチライトが消え、次に噴水の照明が消え、最後に水が止まる。あまり良い趣味とは言えないが、楽しめるものではあった。 メトロで帰る。地下道を歩いていると他に誰もいない部分があり、少し怖い。カタルーニャ広場で一度降りるが、その時、乗客の中に腕をドアに挟まれた人がおり、電車はそのまま走り去った。腕が曲がっていたので大丈夫だろうとは思うが、ここのメトロはとにかくドアの閉まるのが早く、しかも車掌がいないようなので気をつけないと危険。もう一度1号線に乗り、一駅で乗り換え、宿の近くで降りて帰る。 体を拭いたりして就寝は1時過ぎ。 24:35  退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)