奥州道歩き旅 本宮~松川
郡山から電車で本宮に移動し、9時から歩きはじめる。本宮の駅舎は小さいが、町は意外に栄えているようで小さな商店も残っている。
立派な土蔵が、震災の被害があったのか屋根だけは真新しい。
今日も何か所か応急仮設住宅を見かける。ここは小学校の廃校跡地に建てられたもの。
二本松の駅を過ぎると「亀谷まつり坂」という真っ直ぐに延びる急な上り坂。途中に「幸田露伴」のペンネームゆかりの地の石碑。旅費が不足してここで露を伴として野宿したことを思い出し、発奮の意味を込めてペンネームを「露伴」としたそうだ。
峠を越すと「家具の街竹田坂」という下り坂。確かに何軒も家具屋が並んでいる。ここは箪笥づくりが主だったとのことだが、現在は衰退してきているように見える。
安達駅に近づいたところに高村智恵子の生家と記念館。生家は豊かな造り酒屋だったが、智恵子が四十数歳の時に没落し、それが彼女の分裂症発病のきっかけになったとのこと。記念館には若いころの油絵と発病後の紙絵が展示されている。油絵はあまり感心しないが、紙絵には才能が感じられた。
このあたりを「智恵子純愛通り」と名付けているが、これは興醒め。
小高い丘に差し掛かったところにあった「鹿の鳴石」。石の周囲を左に3回廻ると鹿の鳴き声がきかれる、とある。Ameliaがやってみるが、声は聞こえなかった。そもそも私たちは鹿の鳴き声を知らないのだが。
今日の街道歩きはここで終了。ここから更に1.7kmほど歩いて松川駅まで行き、電車で福島に出て宿泊。
午後には曇って日差しが弱まったので、気候的には昨日より楽だったが、代わりに上り下りの多い道程で疲れは減らなかった。
松川駅までというのは予定通りだったが、20kmというのは近道での距離だったので、実際に歩いたのは少し長くなってしまった。
夕食はホテル近くの居酒屋でメイプルサーモンの刺身、福島名物の三点盛り(烏賊ニンジン、ニシン、サケ)、福島餃子など。おいしかった。
今日の歩行距離 23.0km 39,500歩
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2015/06/02/%e5%a5%a5%e5%b7%9e%e9%81%93%e6%ad%a9%e3%81%8d%e6%97%85-%e6%9c%ac%e5%ae%ae%ef%bd%9e%e6%9d%be%e5%b7%9d/奥州道中郡山から電車で本宮に移動し、9時から歩きはじめる。本宮の駅舎は小さいが、町は意外に栄えているようで小さな商店も残っている。立派な土蔵が、震災の被害があったのか屋根だけは真新しい。 今日も何か所か応急仮設住宅を見かける。ここは小学校の廃校跡地に建てられたもの。 そして今日もまた除染中の現場を頻繁に通りかかる。二本松の駅を過ぎると「亀谷まつり坂」という真っ直ぐに延びる急な上り坂。途中に「幸田露伴」のペンネームゆかりの地の石碑。旅費が不足してここで露を伴として野宿したことを思い出し、発奮の意味を込めてペンネームを「露伴」としたそうだ。峠を越すと「家具の街竹田坂」という下り坂。確かに何軒も家具屋が並んでいる。ここは箪笥づくりが主だったとのことだが、現在は衰退してきているように見える。 安達駅に近づいたところに高村智恵子の生家と記念館。生家は豊かな造り酒屋だったが、智恵子が四十数歳の時に没落し、それが彼女の分裂症発病のきっかけになったとのこと。記念館には若いころの油絵と発病後の紙絵が展示されている。油絵はあまり感心しないが、紙絵には才能が感じられた。 このあたりを「智恵子純愛通り」と名付けているが、これは興醒め。 小高い丘に差し掛かったところにあった「鹿の鳴石」。石の周囲を左に3回廻ると鹿の鳴き声がきかれる、とある。Ameliaがやってみるが、声は聞こえなかった。そもそも私たちは鹿の鳴き声を知らないのだが。 今日の街道歩きはここで終了。ここから更に1.7kmほど歩いて松川駅まで行き、電車で福島に出て宿泊。午後には曇って日差しが弱まったので、気候的には昨日より楽だったが、代わりに上り下りの多い道程で疲れは減らなかった。松川駅までというのは予定通りだったが、20kmというのは近道での距離だったので、実際に歩いたのは少し長くなってしまった。夕食はホテル近くの居酒屋でメイプルサーモンの刺身、福島名物の三点盛り(烏賊ニンジン、ニシン、サケ)、福島餃子など。おいしかった。今日の歩行距離 23.0km 39,500歩por AndrésAndrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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