今年も敗戦の月、八月になってテレビや新聞は様々なアジア太平洋戦争に関する特集を流している。多くは戦争の悲惨さを改めて訴えると言う姿勢なのだが、そこには相変わらず決定的に欠けているものがある。戦争でこんな苦労をしました、こんなに悲しい思いをしました。もう二度とあんな経験はしたくない、二度と繰り返してはならない。こういった内容ばかりなのだ。それが不要だとは言わないが、そのレベルで「戦争反対」を唱えることで平和が続くのだとすればとっくの昔に世界から戦争はなくなっているはずだ。誰がなぜ戦争を引き起こしたのか、戦争を引き起こした勢力をなぜ人々は阻止できなかったのか、容認してしまったのかを問い続けることが必要なのに、そうした論調はほとんどない。

昭和天皇が晩年に「戦争責任のことを言われて辛い」などと呟いていたとの記事が出ていた。しかし彼は「戦争責任を追求されて」と言っているわけではないし、ましてや「戦争責任を感じて辛い」と漏らしているわけでもない。そこにはついに自身の手で戦争責任を追求してこなかった戦後の日本と日本人の姿が反映している。

Por Andés

Andrés日記・コラム・つぶやき今年も敗戦の月、八月になってテレビや新聞は様々なアジア太平洋戦争に関する特集を流している。多くは戦争の悲惨さを改めて訴えると言う姿勢なのだが、そこには相変わらず決定的に欠けているものがある。戦争でこんな苦労をしました、こんなに悲しい思いをしました。もう二度とあんな経験はしたくない、二度と繰り返してはならない。こういった内容ばかりなのだ。それが不要だとは言わないが、そのレベルで「戦争反対」を唱えることで平和が続くのだとすればとっくの昔に世界から戦争はなくなっているはずだ。誰がなぜ戦争を引き起こしたのか、戦争を引き起こした勢力をなぜ人々は阻止できなかったのか、容認してしまったのかを問い続けることが必要なのに、そうした論調はほとんどない。 昭和天皇が晩年に「戦争責任のことを言われて辛い」などと呟いていたとの記事が出ていた。しかし彼は「戦争責任を追求されて」と言っているわけではないし、ましてや「戦争責任を感じて辛い」と漏らしているわけでもない。そこにはついに自身の手で戦争責任を追求してこなかった戦後の日本と日本人の姿が反映している。 Por Andés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)