車を10時には返さないと料金をもう一日分取られてしまうので、8時ごろには起き出し、9時ごろ宿を出る。道に少し迷ったが、無事10時前に返却出来る。走行距離は700kmを超えている。レンタカー会社の向かいにあるバルでコーヒーとパンの朝食。バルの中には10時過ぎという時間にきちんと背広を着込んだエリート・サラリーマン風の男達が入ってパンやパイを食べたり、ビールを飲んでいたりする。仕事の方は一体どうなっているのか疑問になる。

前日と逆にメトロに乗ってカタルーニャ広場に戻り、翌日の列車(パリ行)の予約をしようと、広場の地下にあるRENFEに行く。ところがここは大きな事務所が閉鎖されており、小さな切符売場だけが開いていて、言ってみれば国電の駅の様なもの。駅員に尋ねると近くにインフォメーションがあるのでそちらに行くようにと言って住所を書いてくれる。広場から少し歩いてRENFEのインフォメーションに行く。そこは立派なオフィスで女性の係員が一人座っているが、予約をしようとするとここは情報のみで予約は駅だと言ってテルミノ駅へ行けと言う。これでは全く何の為にこんな町中にインフォメーションがあるのか分からない。本当に無駄足。こんなものはない方がこちらとしては駅へ直接行ってしまうから良いようなもの。駅は少し遠いので列車の予約は後回しにして、先ず近くにあるツーリスモへ行く。ツーリスモで国際電話をかけられる所と大きな書店・レコード店の場所を尋ねる。いずれもカタルーニャ広場周辺。ツーリスモに行く途中に比較的大きな書店があったので見てみるが、スペイン戦争関係のものにはあまり良い本がなかったので、ロルカの本を一冊買っておいた。ツーリスモからカタルーニャ広場に面した建物の一階にある国際電話をかける所に行く。カウンターで頼むと番号札をくれ、パリ呼び出しの局番を教えてくれて、番号札の数字のボックスに入って、あとはダイヤル直通。前日、フランス領の電話ボックスで二度試してみたが、いずれも「只今おかけになった番号は使われておりませんので…」といった調子のテープの声が流れてきただけだったが、どうも市外局番が違っていた模様。相手が出て(日本語)、飛行機のリコンファーム(再確認)を簡単に済ませる。通話が済むと又、番号札をカウンターに持参して料金を支払うシステム。通話時間が短かったこともあるが、ちょっとした市外電話と同じ程度の安い料金ですむ。ツーリスモで教えられた書店に行くが、適当な本がないので何も買わずに出る。

順序が逆になったが、ツーリスモを出てすぐ近くのバルで休憩。これは私のトイレの為。

カタルーニャ広場からメトロでテルミノ駅へ。地下鉄の駅を出てみても、テルミノ駅の所在が分からない。ちょっと歩き回ってみて、後から気付いてみるとメトロの駅のすぐ側なのだが、表示が何も出ていないのだ。又々例によって行列に並び、それでも今回は割と早く順番が回ってきて、45分位で私達の番になる。タルゴという国際特急が寝台専用なので、この寝台料金を尋ねるがあまりにも高いのでやめにして、普通の急行列車の寝台にする。ところが私達が時刻表で調べていた列車は満席なのかどうか、とにかく駄目で、別の列車を紹介してくれる。これはフランス側国境の町セルベールで乗り換えるもの。これを頼むと、しばらく脇で待てと言って次の客の切符を受け付ける。これはスペインで今までになかったこと。スペインでは機械がカチカチやって駅員がやることがなくても、一人の客の用事が完全に済むまでは決して次の客の応対はしなかった。10分程だろうか、脇で待たされてやっと切符が出来てくる。

駅の外に出ると、港を横断するロープウェイが見える。これに乗ろうかどうか迷う。塔の所から乗れるのだろうが、陽がカンカン照りつけて前日とは逆に大変暑く、塔まで1km以上はありそうに見える。しかもロープウェイが動いているかどうかも分からない。そこでしばらく眺めていると小さなゴンドラが動いているのが見えたので、とにかく塔まで行ってみることにする。近くのバルでアイスクリームを食べてから、いかにも港町らしい道を歩いて行く。狭い歩道の片側は壁、もう一方はビッタリ車が駐車して並んでいるので、車道を歩かざるを得ない。道の右側は港で、倉庫や荷役場が続く。左側はコンクリートのアパート。塔に着くと入口で切符を買い(片道)、それからエレベーターで昇って乗り場へ。上は風もあっていくらか涼しい。

1980-08-26 Barcelona ロープウェイからコロンブス記念柱塔の上から見ると町はいくらか霞んでいる。全く気が付かなかったが、私達が歩いて来た所は半島になっていて、港の反対側は長い砂浜が続いて海水浴場になっており、ビーチ・パラソルが沢山開き、日和のせいもあってか多くの海水浴客が見える。ロープウェイのゴンドラは小さく造りもチャチな感じで、ゆっくりとバルセローナ港を渡って行き、コロンブス記念柱のあたりから伸びる埠頭の先の方の塔で一且停止する。ここで降りることも出来るが、私達は引き続いて乗ってモンジュイックの丘の端まで行く。カテドラルやサグラダ・ファミリアなどバルセローナの市街が一望出来る。モンジュイックで降りてみると、バス停があると思っていたのに、ない。ここは前々日の夜、夕食を取ろうとレストランを探してチーノ地区を通り抜けて出た所にあった三本の大きな煙突(清掃工場か?)がすぐ下に見える所だが、丘の下に行く道は遠回りをしており、歩き出してはみたものの強烈な太陽の下、並木道も日陰もなくとても耐えられないので、初めてタクシーを利用することにする。スペインの都市には流しのタクシーが沢山走っているので、こういう場合には楽。交通量の比較的少ない道路だったが、三叉路で私達が立っているのとは別の道に走って行こうとしているタクシーに手を上げると、ちゃんとこちらに来てくれる。ドアは手動。運転手は初老の男。バルセローナでは時々女性の運転手を見かけたが。カタルーニャ広場まで行ってもらう。途中、運転手は暑いと言いながら助手席に置いたハンカチで顔を何度も拭く。確かに暑い。左手は窓にかけっ放しで、右手だけでハンドルとギアを扱う。やがて煙草を吸い、私達にも煙草を差し出す。私が一本抜くと、更にライターまで貸してくれる。

カタルーニャ広場でタクシーを降り、デパートへ行く。最上階のレストランへ行って休む。先日ここで食べたチューロとチョコレートが美味しかったのでチューロを注文するが、チューロは夕方からしかやっていないとのことなので、カフェ・グラニサードを注文。カフェにいくらかザリザリの氷が入っている程度だろうと思っていたら、コップ一杯の軟らかいかき氷にコーヒーの入ったもの。氷が軟らかく細かいため、ストローで吸うと氷ごと口に入って来る。これはかき氷にコーヒーをかけたのではなく、はじめから混じっているものが機械の中に入っており、ちょうどジュースの様にずっとかき回されていて、それを蛇口からコップに入れるようになっている。配偶者は更にドーナツを注文。これは普通のドーナツで旨い。カウンターの方が安いので、今回はカウンター。 又一階ずつ下りて行きながら土産を探す。配偶者は陶器の、それも白い素焼きの水差しを欲しがるが、高級品しかない。毛皮売場で、全く買う気はなかったのだがちょっとのぞいてみると、山羊か何かだと思うが一頭の皮を一枚もので売っているのが大変安かったので、敷物にでもしようといって買う。ここに重ねて置いてある毛皮は、大きさもそれぞれいくらかずつ違い(一番大きな物と一番小さな物では倍程の違い)、色も皮の柔らかさも毛の長さも違っている。一階ではチェスの道具を買う。グラナダで寄木細工のチェス盤があったのでそれを買おうと言っでいたもの。しかし見てみるとはたしてグラナダのものかどうか分からないし、盤と駒は別々に買うようになっているものが大部分。広い盤は持って帰るのに不便だと思っていたら、ちょうど盤が二つに折れて中に駒を収納出来るようになっているものがあり、盤は寄木ではないようだがセットになっている駒が石造りで良さそうなので、これを買うことにする。表示してある価格よりもずっと安く買える。同じ一階にレコード売場があったので行ってみるが、ごく普通のポップスやクラシックの音楽レコードばかりで、市民戦争時の歌などは全く見付からない。

デパートを出て広場に行くと、ものすごい数の。子供も大人もこの鳩にエサをやって遊んでいる。エサを一箇所にまとめて置いたりすると、鳩が群がってそれこそ鳩の上に鳩が乗りかかって、ウジャウジャという感じ。又エサを手の平に載せて立つと、腕や肩にどんどん飛び乗ってくる。

1980-08-27 Barcelona Pl. Catalunyaで鳩を腕に配偶者もエサをやってみたいと言って広場の隅で売っているものを買って来て、手の平にエサを載せる。すると鳩は腕や肩に2、3羽止まるのだが、時には腕に止まったままエサを取り合って喧嘩まではじめてしまう。又手に止まってエサを食べている鳩の背中にもう1羽の鳩が止まったりすることもある。おかげで配偶者の腕にはいくつか鳩のツメでひっかき傷が出来てしまう。

買った土産品を宿に置こうとランブラスを歩いて行きながら、途中いくつかの土産物店をのぞくが、良い品がない。スーパーマーケットがあったので入ってみると、ごく普通の日用品として使える陶器がある。しかしマドリーのラストロで見掛けたような例の白い素焼きのものはない。翌日スペイン村に行けばあるかも知れないし、それに第一今ここで買ったら夕食のお金がなくなってしまう(朝、ツーリスモに行く途中の銀行で両替をしたが、デパートでの買物で残り少なくなっていた)ので、買うのはやめる。

宿に帰り着いたのは20時ごろだっただろうか。昨日の大変なドライブで疲れ、睡眠不足だから最低限必要な車の返却・明日の列車の予約・飛行機のリコンファームを済ませたら一度宿に帰って休もうと言っていたのに、この日も一日中外を歩き回ってしまった。しかし思った程疲れてもいず、眠くもないのだ。二人とも何と丈夫なことか。宿で私はシャワーを浴び、その間配偶者は少し眠る。

21時ごろ再び宿を出、食事に行く。お土産を買った為、現金の残りが少ないので、夕食はそんなにお金をかけられない。スペイン最後の夜だが仕方がない。バルで済ませようとランブラスを歩くが、どうも気に入る店がない。その内例によって配偶者がふくれ出す。ランブラスをカタルーニャ広場方向に歩き、又戻って結局ははじめの方でのぞいた店に入る。ところが入口の方はバルになっていても、奥の方のカウンターは普通の食事が出来るようになっており、メニューを見るとそんなに高くないので、普通の食事を取ることにする。バルの部分は大変混んでいるが、こちらはそれ程でもない。中年の人の善さそうな男が注文を取ろうとして私達の顔を見、東洋人で言葉のことを心配したのか、若い(と言っても私と同じ位か)男にまかせてしまう。この若い男もニコニコして感じの良い人。私はサラダ・玉子・ステーキ。例によって玉子でもう腹一杯になり、パンは出来るだけ食べないようにしてやっとステーキまで片付ける。食事が出て来るのを待つ間、配偶者がふくれたことに私がちょっと怒ったので、彼女は涙ぐみそうになり、私は慌てて仲直りをする。

バルを出て近くのカフェに入る。ここはランブラスの車道に挟まれた広い遊歩道にテーブルを並べた所。ウェイターは一回一回車道を渡って飲み物を運んで来る。気のせいか道を歩く人々がいつもより私達の方を珍しそうに見て行く。試しに通る日本人の数を数えてみるが、1時間程の間に4人しか通らない。その内の1人は学生風の男でスペイン人の友人と一緒に3回~4回も通り、私が「又通っている」という感じで指差して配偶者に教えたのをスペイン人の方が気付いてそれを日本人に言ったのだろう、それからは通らなくなった。通行人を見ていると確かに太った人が多い。男女ともスタイルのいい人はほとんどいない。一人変った服装の女性が通る。これはスカートが斜めになっているもので、片方(左側?)はくるぶしの辺りまで長く、反対側は太腿の上の方まで切れ上っている。この時にはカフェに座っている人達も、ウェイターもそちらの方を注目してしまった。

まだまだ遅くまで座っていたかったが、12時を過ぎたので宿に帰り、眠る。

Andrésスペイン旅行車を10時には返さないと料金をもう一日分取られてしまうので、8時ごろには起き出し、9時ごろ宿を出る。道に少し迷ったが、無事10時前に返却出来る。走行距離は700kmを超えている。レンタカー会社の向かいにあるバルでコーヒーとパンの朝食。バルの中には10時過ぎという時間にきちんと背広を着込んだエリート・サラリーマン風の男達が入ってパンやパイを食べたり、ビールを飲んでいたりする。仕事の方は一体どうなっているのか疑問になる。前日と逆にメトロに乗ってカタルーニャ広場に戻り、翌日の列車(パリ行)の予約をしようと、広場の地下にあるRENFEに行く。ところがここは大きな事務所が閉鎖されており、小さな切符売場だけが開いていて、言ってみれば国電の駅の様なもの。駅員に尋ねると近くにインフォメーションがあるのでそちらに行くようにと言って住所を書いてくれる。広場から少し歩いてRENFEのインフォメーションに行く。そこは立派なオフィスで女性の係員が一人座っているが、予約をしようとするとここは情報のみで予約は駅だと言ってテルミノ駅へ行けと言う。これでは全く何の為にこんな町中にインフォメーションがあるのか分からない。本当に無駄足。こんなものはない方がこちらとしては駅へ直接行ってしまうから良いようなもの。駅は少し遠いので列車の予約は後回しにして、先ず近くにあるツーリスモへ行く。ツーリスモで国際電話をかけられる所と大きな書店・レコード店の場所を尋ねる。いずれもカタルーニャ広場周辺。ツーリスモに行く途中に比較的大きな書店があったので見てみるが、スペイン戦争関係のものにはあまり良い本がなかったので、ロルカの本を一冊買っておいた。ツーリスモからカタルーニャ広場に面した建物の一階にある国際電話をかける所に行く。カウンターで頼むと番号札をくれ、パリ呼び出しの局番を教えてくれて、番号札の数字のボックスに入って、あとはダイヤル直通。前日、フランス領の電話ボックスで二度試してみたが、いずれも「只今おかけになった番号は使われておりませんので…」といった調子のテープの声が流れてきただけだったが、どうも市外局番が違っていた模様。相手が出て(日本語)、飛行機のリコンファーム(再確認)を簡単に済ませる。通話が済むと又、番号札をカウンターに持参して料金を支払うシステム。通話時間が短かったこともあるが、ちょっとした市外電話と同じ程度の安い料金ですむ。ツーリスモで教えられた書店に行くが、適当な本がないので何も買わずに出る。順序が逆になったが、ツーリスモを出てすぐ近くのバルで休憩。これは私のトイレの為。カタルーニャ広場からメトロでテルミノ駅へ。地下鉄の駅を出てみても、テルミノ駅の所在が分からない。ちょっと歩き回ってみて、後から気付いてみるとメトロの駅のすぐ側なのだが、表示が何も出ていないのだ。又々例によって行列に並び、それでも今回は割と早く順番が回ってきて、45分位で私達の番になる。タルゴという国際特急が寝台専用なので、この寝台料金を尋ねるがあまりにも高いのでやめにして、普通の急行列車の寝台にする。ところが私達が時刻表で調べていた列車は満席なのかどうか、とにかく駄目で、別の列車を紹介してくれる。これはフランス側国境の町セルベールで乗り換えるもの。これを頼むと、しばらく脇で待てと言って次の客の切符を受け付ける。これはスペインで今までになかったこと。スペインでは機械がカチカチやって駅員がやることがなくても、一人の客の用事が完全に済むまでは決して次の客の応対はしなかった。10分程だろうか、脇で待たされてやっと切符が出来てくる。駅の外に出ると、港を横断するロープウェイが見える。これに乗ろうかどうか迷う。塔の所から乗れるのだろうが、陽がカンカン照りつけて前日とは逆に大変暑く、塔まで1km以上はありそうに見える。しかもロープウェイが動いているかどうかも分からない。そこでしばらく眺めていると小さなゴンドラが動いているのが見えたので、とにかく塔まで行ってみることにする。近くのバルでアイスクリームを食べてから、いかにも港町らしい道を歩いて行く。狭い歩道の片側は壁、もう一方はビッタリ車が駐車して並んでいるので、車道を歩かざるを得ない。道の右側は港で、倉庫や荷役場が続く。左側はコンクリートのアパート。塔に着くと入口で切符を買い(片道)、それからエレベーターで昇って乗り場へ。上は風もあっていくらか涼しい。塔の上から見ると町はいくらか霞んでいる。全く気が付かなかったが、私達が歩いて来た所は半島になっていて、港の反対側は長い砂浜が続いて海水浴場になっており、ビーチ・パラソルが沢山開き、日和のせいもあってか多くの海水浴客が見える。ロープウェイのゴンドラは小さく造りもチャチな感じで、ゆっくりとバルセローナ港を渡って行き、コロンブス記念柱のあたりから伸びる埠頭の先の方の塔で一且停止する。ここで降りることも出来るが、私達は引き続いて乗ってモンジュイックの丘の端まで行く。カテドラルやサグラダ・ファミリアなどバルセローナの市街が一望出来る。モンジュイックで降りてみると、バス停があると思っていたのに、ない。ここは前々日の夜、夕食を取ろうとレストランを探してチーノ地区を通り抜けて出た所にあった三本の大きな煙突(清掃工場か?)がすぐ下に見える所だが、丘の下に行く道は遠回りをしており、歩き出してはみたものの強烈な太陽の下、並木道も日陰もなくとても耐えられないので、初めてタクシーを利用することにする。スペインの都市には流しのタクシーが沢山走っているので、こういう場合には楽。交通量の比較的少ない道路だったが、三叉路で私達が立っているのとは別の道に走って行こうとしているタクシーに手を上げると、ちゃんとこちらに来てくれる。ドアは手動。運転手は初老の男。バルセローナでは時々女性の運転手を見かけたが。カタルーニャ広場まで行ってもらう。途中、運転手は暑いと言いながら助手席に置いたハンカチで顔を何度も拭く。確かに暑い。左手は窓にかけっ放しで、右手だけでハンドルとギアを扱う。やがて煙草を吸い、私達にも煙草を差し出す。私が一本抜くと、更にライターまで貸してくれる。カタルーニャ広場でタクシーを降り、デパートへ行く。最上階のレストランへ行って休む。先日ここで食べたチューロとチョコレートが美味しかったのでチューロを注文するが、チューロは夕方からしかやっていないとのことなので、カフェ・グラニサードを注文。カフェにいくらかザリザリの氷が入っている程度だろうと思っていたら、コップ一杯の軟らかいかき氷にコーヒーの入ったもの。氷が軟らかく細かいため、ストローで吸うと氷ごと口に入って来る。これはかき氷にコーヒーをかけたのではなく、はじめから混じっているものが機械の中に入っており、ちょうどジュースの様にずっとかき回されていて、それを蛇口からコップに入れるようになっている。配偶者は更にドーナツを注文。これは普通のドーナツで旨い。カウンターの方が安いので、今回はカウンター。 又一階ずつ下りて行きながら土産を探す。配偶者は陶器の、それも白い素焼きの水差しを欲しがるが、高級品しかない。毛皮売場で、全く買う気はなかったのだがちょっとのぞいてみると、山羊か何かだと思うが一頭の皮を一枚もので売っているのが大変安かったので、敷物にでもしようといって買う。ここに重ねて置いてある毛皮は、大きさもそれぞれいくらかずつ違い(一番大きな物と一番小さな物では倍程の違い)、色も皮の柔らかさも毛の長さも違っている。一階ではチェスの道具を買う。グラナダで寄木細工のチェス盤があったのでそれを買おうと言っでいたもの。しかし見てみるとはたしてグラナダのものかどうか分からないし、盤と駒は別々に買うようになっているものが大部分。広い盤は持って帰るのに不便だと思っていたら、ちょうど盤が二つに折れて中に駒を収納出来るようになっているものがあり、盤は寄木ではないようだがセットになっている駒が石造りで良さそうなので、これを買うことにする。表示してある価格よりもずっと安く買える。同じ一階にレコード売場があったので行ってみるが、ごく普通のポップスやクラシックの音楽レコードばかりで、市民戦争時の歌などは全く見付からない。デパートを出て広場に行くと、ものすごい数の鳩。子供も大人もこの鳩にエサをやって遊んでいる。エサを一箇所にまとめて置いたりすると、鳩が群がってそれこそ鳩の上に鳩が乗りかかって、ウジャウジャという感じ。又エサを手の平に載せて立つと、腕や肩にどんどん飛び乗ってくる。配偶者もエサをやってみたいと言って広場の隅で売っているものを買って来て、手の平にエサを載せる。すると鳩は腕や肩に2、3羽止まるのだが、時には腕に止まったままエサを取り合って喧嘩まではじめてしまう。又手に止まってエサを食べている鳩の背中にもう1羽の鳩が止まったりすることもある。おかげで配偶者の腕にはいくつか鳩のツメでひっかき傷が出来てしまう。買った土産品を宿に置こうとランブラスを歩いて行きながら、途中いくつかの土産物店をのぞくが、良い品がない。スーパーマーケットがあったので入ってみると、ごく普通の日用品として使える陶器がある。しかしマドリーのラストロで見掛けたような例の白い素焼きのものはない。翌日スペイン村に行けばあるかも知れないし、それに第一今ここで買ったら夕食のお金がなくなってしまう(朝、ツーリスモに行く途中の銀行で両替をしたが、デパートでの買物で残り少なくなっていた)ので、買うのはやめる。宿に帰り着いたのは20時ごろだっただろうか。昨日の大変なドライブで疲れ、睡眠不足だから最低限必要な車の返却・明日の列車の予約・飛行機のリコンファームを済ませたら一度宿に帰って休もうと言っていたのに、この日も一日中外を歩き回ってしまった。しかし思った程疲れてもいず、眠くもないのだ。二人とも何と丈夫なことか。宿で私はシャワーを浴び、その間配偶者は少し眠る。21時ごろ再び宿を出、食事に行く。お土産を買った為、現金の残りが少ないので、夕食はそんなにお金をかけられない。スペイン最後の夜だが仕方がない。バルで済ませようとランブラスを歩くが、どうも気に入る店がない。その内例によって配偶者がふくれ出す。ランブラスをカタルーニャ広場方向に歩き、又戻って結局ははじめの方でのぞいた店に入る。ところが入口の方はバルになっていても、奥の方のカウンターは普通の食事が出来るようになっており、メニューを見るとそんなに高くないので、普通の食事を取ることにする。バルの部分は大変混んでいるが、こちらはそれ程でもない。中年の人の善さそうな男が注文を取ろうとして私達の顔を見、東洋人で言葉のことを心配したのか、若い(と言っても私と同じ位か)男にまかせてしまう。この若い男もニコニコして感じの良い人。私はサラダ・玉子・ステーキ。例によって玉子でもう腹一杯になり、パンは出来るだけ食べないようにしてやっとステーキまで片付ける。食事が出て来るのを待つ間、配偶者がふくれたことに私がちょっと怒ったので、彼女は涙ぐみそうになり、私は慌てて仲直りをする。バルを出て近くのカフェに入る。ここはランブラスの車道に挟まれた広い遊歩道にテーブルを並べた所。ウェイターは一回一回車道を渡って飲み物を運んで来る。気のせいか道を歩く人々がいつもより私達の方を珍しそうに見て行く。試しに通る日本人の数を数えてみるが、1時間程の間に4人しか通らない。その内の1人は学生風の男でスペイン人の友人と一緒に3回~4回も通り、私が「又通っている」という感じで指差して配偶者に教えたのをスペイン人の方が気付いてそれを日本人に言ったのだろう、それからは通らなくなった。通行人を見ていると確かに太った人が多い。男女ともスタイルのいい人はほとんどいない。一人変った服装の女性が通る。これはスカートが斜めになっているもので、片方(左側?)はくるぶしの辺りまで長く、反対側は太腿の上の方まで切れ上っている。この時にはカフェに座っている人達も、ウェイターもそちらの方を注目してしまった。まだまだ遅くまで座っていたかったが、12時を過ぎたので宿に帰り、眠る。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)