映画「ローマ法王になる日まで」
原題 Chiamatemi Francesco – Il Papa della gente
2015年 イタリア映画
監督 ダニエーレ・ルケッティ
現ローマ法王フランシスコの、法王になるまでの半生を描いた作品。中でも、ブエノスアイレス大学の学生だったベルゴリオがイエズス会に入会し、1973年に35歳でアルゼンチン管区長になってからの数年間が大半を占めている。当時のアルゼンチンは軍事独裁政権下にあり、「汚い戦争」と呼ばれる反政府的とみなされた人々を誘拐し拷問し抹殺する政策が行われ、数万人が殺害されあるいは行方不明になるという状況だった。ベルゴリオは、軍事政権を支持するアルゼンチンのカトリック教会と、軍事政権を批判して殺害される司教たちとの間で悩みながら貧しい人々を助けようとする。
ベルゴリオが実際にどうであったかは知らない。独裁下で、教会組織の一員として権力の側についていたのか、独裁から人々を守ろうとする側だったのか。婚外子に洗礼を授けるなど進歩的な面も見られるし、反政府側の学生をかくまうエピソードは映画の主題ともなっている。一方、若いころにはペロン主義者だったし、解放の神学には一貫して反対の立場に立ってきた。
こうした経歴からすると、ペロン主義がかれの基本をなしていると見るのが最も当を得ているように思える。つまり、貧しい人々の側に立つ反共主義。権威主義。レッテル貼りをしてみるとこうなるのだろう。教義の面での保守的姿勢と、行動面での虐げられた者の味方という点で、カトリック教会の主流派と言っていいだろう。
伝記映画の常で、主人公の真の姿を描き出すよりも、観客がこうあってほしいと望む姿を作り上げてしまっているように思う。
ヒューマントラストシネマ有楽町という小さな映画館だったが、東京では他の2館でも上映中なのにもかかわらず、満席だった。
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2017/06/21/%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%80%8c%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%9e%e6%b3%95%e7%8e%8b%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e3%81%be%e3%81%a7%e3%80%8d//images/2017/06/9b880f93c712eb84effa29442ae78751-644x906.jpg/images/2017/06/9b880f93c712eb84effa29442ae78751-150x150.jpg映画・テレビ原題 Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente
2015年 イタリア映画
監督 ダニエーレ・ルケッティ
現ローマ法王フランシスコの、法王になるまでの半生を描いた作品。中でも、ブエノスアイレス大学の学生だったベルゴリオがイエズス会に入会し、1973年に35歳でアルゼンチン管区長になってからの数年間が大半を占めている。当時のアルゼンチンは軍事独裁政権下にあり、「汚い戦争」と呼ばれる反政府的とみなされた人々を誘拐し拷問し抹殺する政策が行われ、数万人が殺害されあるいは行方不明になるという状況だった。ベルゴリオは、軍事政権を支持するアルゼンチンのカトリック教会と、軍事政権を批判して殺害される司教たちとの間で悩みながら貧しい人々を助けようとする。
ベルゴリオが実際にどうであったかは知らない。独裁下で、教会組織の一員として権力の側についていたのか、独裁から人々を守ろうとする側だったのか。婚外子に洗礼を授けるなど進歩的な面も見られるし、反政府側の学生をかくまうエピソードは映画の主題ともなっている。一方、若いころにはペロン主義者だったし、解放の神学には一貫して反対の立場に立ってきた。
こうした経歴からすると、ペロン主義がかれの基本をなしていると見るのが最も当を得ているように思える。つまり、貧しい人々の側に立つ反共主義。権威主義。レッテル貼りをしてみるとこうなるのだろう。教義の面での保守的姿勢と、行動面での虐げられた者の味方という点で、カトリック教会の主流派と言っていいだろう。
伝記映画の常で、主人公の真の姿を描き出すよりも、観客がこうあってほしいと望む姿を作り上げてしまっているように思う。
ヒューマントラストシネマ有楽町という小さな映画館だったが、東京では他の2館でも上映中なのにもかかわらず、満席だった。
por AndrésAndrés
andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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