20200427_180856

新型コロナウイルス蔓延によって書店の平棚に積まれたカミュの「ペスト」を目にして、再読してみた。書棚の片隅に新潮文庫の「ペスト」が2冊並んでいた。私と配偶者が、それぞれに学生時代、奥付からするとおそらく大学1年生のころに購入したもの。半世紀も前の文庫ゆえ、活字は小さく、老眼には少々読みづらいものだった。

読み進む一方で、テレビ画面には人通りの絶えたミラノやローマの広場が映され、インターネットで見る新聞にもマドリードやバルセローナの静まり返った街路の写真が掲載されていて、未知の町である「ペスト」の舞台アルジェリアのオランが既知の都市のように感じられて、緊張と静謐とに共鳴しながら作品の中に入り込むことができた。こんな機会がなければ再読することも恐らくなかっただろうし、作品の空気を体感しながら味わうこともできなかっただろう。

この作品は、ペストの流行が始まってから収束するまでの1年ほどの、封鎖されたオランの町の人々を描いたもの。ペストに対処する医師たち、病院や収容施設、さらには墓地で働く人たち。ペストに打ち勝とうとする人、受け入れて死を迎える人。封鎖された町から逃げ出そうとする者。様々な行為が描かれているが、悪人は登場しない。知識人への偏りはあるものの、それぞれの役割を坦々と果たすことに努める姿があるだけだ。もちろん1年間で変容する人間もいれば、表面的には全く変わらない人もいる。それでも全員が内面の大きな変化を経験したのは間違いない。

「ペスト」が発表されたのは1947年。ナチス占領下を経験し、レジスタンス活動の中での醜い行為も見聞きした後であっても、これほど静かな筆致で悪を回避して一つの都市を描くことができたのは、時代を反映したものなのかカミュの人間性から来るものなのか。

ヴェネツィアの、閉ざされた鎧戸に挟まれた無音の路地の光景を見ながらコロナによって人々や世界がどのように変わるのか変わらないのかを想っていた。

/images/2020/04/20200427_180856.jpg/images/2020/04/20200427_180856-150x150.jpgAndrés日記・コラム・つぶやき書籍・雑誌新型コロナウイルス蔓延によって書店の平棚に積まれたカミュの「ペスト」を目にして、再読してみた。書棚の片隅に新潮文庫の「ペスト」が2冊並んでいた。私と配偶者が、それぞれに学生時代、奥付からするとおそらく大学1年生のころに購入したもの。半世紀も前の文庫ゆえ、活字は小さく、老眼には少々読みづらいものだった。 読み進む一方で、テレビ画面には人通りの絶えたミラノやローマの広場が映され、インターネットで見る新聞にもマドリードやバルセローナの静まり返った街路の写真が掲載されていて、未知の町である「ペスト」の舞台アルジェリアのオランが既知の都市のように感じられて、緊張と静謐とに共鳴しながら作品の中に入り込むことができた。こんな機会がなければ再読することも恐らくなかっただろうし、作品の空気を体感しながら味わうこともできなかっただろう。 この作品は、ペストの流行が始まってから収束するまでの1年ほどの、封鎖されたオランの町の人々を描いたもの。ペストに対処する医師たち、病院や収容施設、さらには墓地で働く人たち。ペストに打ち勝とうとする人、受け入れて死を迎える人。封鎖された町から逃げ出そうとする者。様々な行為が描かれているが、悪人は登場しない。知識人への偏りはあるものの、それぞれの役割を坦々と果たすことに努める姿があるだけだ。もちろん1年間で変容する人間もいれば、表面的には全く変わらない人もいる。それでも全員が内面の大きな変化を経験したのは間違いない。 「ペスト」が発表されたのは1947年。ナチス占領下を経験し、レジスタンス活動の中での醜い行為も見聞きした後であっても、これほど静かな筆致で悪を回避して一つの都市を描くことができたのは、時代を反映したものなのかカミュの人間性から来るものなのか。 ヴェネツィアの、閉ざされた鎧戸に挟まれた無音の路地の光景を見ながらコロナによって人々や世界がどのように変わるのか変わらないのかを想っていた。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)